夏日堂


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❖バクトリア Bactria❖




❖バクトリア Bactria
       
  バクトリア 
 複合体 石像 (1)
女性像
sold
  バクトリア 
 複合体 石像 (2)
羊の毛の服の男性像
  バクトリア 
 複合体 石像 (3)
線刻模様の男性像
Bactria
composite stone statue
  バクトリア 
 複合体 石像 (4)
幾何学模様の男性像
Bactria
composite stone statue 
       
  バクトリア 
 複合体 石像 (5)
線刻 腕のある男性像
Bactria
composite stone statue 
  バクトリア 
 複合体 ブロンズ像 (6)
動物を抱く男性像
Bactria
composite bronze statue 
  バクトリア 
 複合体 石像 (7)
大きな線刻の男性像
Bactria
composite stone statue 
  バクトリア 
 複合体石像 襟元の浮き彫りと線刻の男性像 (8)

(8)Bactria composite stone statue 
         
  バクトリア 
 複合体石像 羊の毛か木の葉の浮き彫りの男性像 (9)
sold
  バクトリア 
 複合体石像 羊の毛の浮き彫りの男性像 (10)
  バクトリア 
 複合体石像 身体に馬の浮き彫りと線刻の女性像 (11)

   
       
  バクトリア 
 A1 石のお守り:座るライオン
sold
  バクトリア 
 A2 石のお守りライオン
sold
  バクトリア 
 A3 石のお守り:羊の毛の模様?
sold
  バクトリア 
 A4 円筒形のお守り
Bactria
stone Amulet 

          ❖・・・・・バクトリアのこと・・個人的な感想・・・❖
 
 とある町を歩いていて骨董屋があったので立ち寄った。薄暗い棚に載っていたひとつに眼が留り、
奥のテーブルで何か作業をしている店主らしき人物にその品物の由来を訊ねてみる。
『それは』と店主らしき人物は顎でしゃくるように私が手にした品物を指し示し云う。
『ヘイアンからセンゴくらいに作られたものですよ』
『ヘイアンからセンゴ?』
『そう、平清盛の平安時代からアメリカとドンパチやった戦後のものですよ』当たり前の事を聞くなと云った口調で云うと、退屈そうな眼で私ををちらっと見、また元の作業に戻る。
 それは、まかり通らない説明だろう。
 千年のキャップ。いったい何時つくられたんだよ。全然何も判っていないのと同じじゃないの?
 そのありえない解説でまかり通る品物がバクトリアの複合体石像です。
 日本のmiho museumの解説には、制作された時代が紀元前3千年後期から紀元前2千年初期となっています。
https://www.miho.jp/collection_type/west_central-asia/
 クリスティーズに出品された品物には漠然と紀元前3千年と有ります。
https://www.christies.com/en/lot/lot-1818586
 時代の幅が狭い解説でも5百年のギャップが有ります。(興味の有る方はpinterestの下記のページを御覧下さい)
https://www.pinterest.jp/pin/143904150578727833/
 このまかり通らない説明で済んでいるのは,ひとえに発掘の調査が進んでいない為なのでしょう。
それは、バクトリアの遺物に限らず古代のもの全般に云える事ですが、制作時代の特定が大雑把です。
 現在のアフガニスタン北部に位置した古代バクトリアはシルクロードの要衝として栄えた国だったそうです。
アフガニスタン周辺は何十年にも渡る内戦が常態化しているため発掘もままならないらしい。
 
 さて、国のトップのお偉いさん方の作った石像はさておき、紀元前3前年からバクトリアが滅亡した紀元前2世紀のあいだ(その間、紀元前5世紀には、アケメネス朝ペルシャの従属国になり、その後アレクサンドロス大王の侵略でギリシャの従属国になり、政治はペルシャ、ギリシャ人の主導となったそうです。)、亡くなった人を偲ぶ石像が一般の人ひとの間でも作られていたとするなら、当然、長い年月のあいだに様式は変化する。
 骨董品を見ていますと、一般的に何か新しいものが生まれた当初は手間ひまかけ丁寧に作りますが、次第に手抜き、簡略化、または、時代の美意識に適合したものへと変化して行きます。それは、現代でも変わりはないのですが、つくづく人間って云うのは飽きっぽい生き物なのだと思ったりします。
 各地に散らばっているバクトリアの複合体石像の写真など見ていますと、その遍歴がうっすらと俯瞰できるように思います。
 初期の石像は、頭部、帽子、胴体(上体と下体)、腕(だいたい、ひじから手)がパートに別れ、石の彫刻は浮き彫りまたは凹凸のある彫りになっています。
 そのうち、腕は無くなり、胴体も上体下体が一体化し、彫刻も浮き彫り部が有ったとしても少なく、幾何学な細い線彫りの組み合わせに変化。
 頭、胴体、帽子がパートに分かれているのはそのまま継承されます。その後、雑な彫りの動物をヤクザのモンモン宜しく背中や前面に施した、
全体にちじこまった感じの作風になり、初めの頃のゆったりした優雅さは消え、俗っぽい感じになります。
 この石像が庶民の生活に根付いた物であったとするなら、国を納めるトップが変ろうが、その風習は残るのではないか。
そうであれば、紀元前3千年から2千年に限定されずに、バクトリア滅亡の紀元前2世紀までの長いスパンで作られたと考えた方が良いのではないか。
以上、私個人の見解です。しかし、このページの石像の制作年代は一般的な見解に倣って記載しました。
         以下は、私の妄想、空想です。
「イヤー、お宅に頼んでホント良かったよ、なあ。」
「ホント、亡くなった祖父さまに似ている事」
「この意固地な感じの顔なんか、どうだい、そっくりじゃねか」
「そうですね、それにこの怒り肩、いかにも、祖父さまが小言を言い始めそう・・・。」
『まったくねえ・・・・口うるさいじいさんだったからな、うちの親父は・・・。
しかし、おたくは良く特徴を掴んで石を彫るもんだね。・・・それが長年の腕ってもの。なるほどね。」
「角の石屋さんに頼まなくて良かったわね」
「あそこは、ウデが悪いよ。Sさんのお袋さんの石像を見てそう思ったね。あれじゃ、既製品のブロンズ像のほうがましだ。
まあ、予算の関係で小さなものになっちまったがな・・・身体も線彫りで」
「そんな事有りませんよ、こんなに生き写しの石像なんですもの」
「そうだな、じいさんも勘弁してくれるだろう、なあ。」
「そうですよ、これを見ていると、祖父さまが傍に居る様ですよ」
「ところで、石屋さん、あそこの棚の右から3番目のお嬢さんの石像、あの人は若かったのかい」
「まあ、まだそんなに小さなお子さんが3人も・・・」
「旦那も親御さんもさぞ辛かったろね」
「ふんふん、そうだろうな。」
「あちらの浮き彫りの立派な方は・・・・」
「ああ、あのお屋敷の・・御曹司・・・仕事が忙しすぎて・・まだ四十じゃ若いはなあ」
「あなた、そろそろ・・・」
「おっと、長居しちまったな、また今度もお宅にたのむから・・・」
「あなた、そんなに続いたら困りますよ」
「そりゃそうだ。お世話になったな石屋さん、石像を奉納する時にゃ一杯つき合ってもらわねえとな。ありがとうよ。」

 

 

 

 

 

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