李朝にはまる・・・私的 韓国見聞録 (1)

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デニケン

 李朝の品物を集め始めたのは、駒沢から目白にお店を移してからのことでした。
駒沢のお店では、ヨーロッパのデコラティブ・アートを中心に品物を集めていました。

もともと、ヨーロッパの古い家具やアフリカのものが好きだったのですが、骨董を仕事として始めたのは、例によって伊万里からでした。伊万里っていうものも全然興味がなかったのですが、なにせ市場に行くと、伊万里がてんこもりに出てくるので、試しに買っているうちに、だんだんはまってきて、しばらく集めましたが、どうにも、和物屋さんたちの胡散臭さについていけなくて、和物屋さんと付き合いの無い西洋骨董を選びました。
 その当時、新入りが品物の見えやすい位置に座ろうものなら白い目で見られるような雰囲気でした。どうも上座と下座があったようで、暗黙の掟が市の会場に漂っていました。初めに行っていたのは場末の市でしたから、そんなだったのかも知れません。とにかく、次第にうんざりし初めました。その同じ頃、青山のKさんの紹介で美術倶楽部の西洋骨董の会に出させて頂いてましたが、はじめて美術倶楽部に行った時はビビリました。
 建替える前の美術倶楽部でしたが、なんと、下足番の方がいて、ひとりひとりの靴の整理をしているのです。ボロい靴をはいて行く訳にはいきません。みえる方々もほとんど、びしっとしたスーツ姿で、ボロい服も着ていく訳にいきません。
今は亡くなってしまいました、石黒さんなどが主催されていました会でしたが、皆さんなんと上品なことか、、、。やりのつき方も上品です。値段の交渉も上品です。出てくるお昼はいつも(まいせん)のカツサンドです。
その中で異彩を放っていたのは、無尽蔵の店主の人です。自分に興味のない品物が回っているときには、新聞や雑誌を読んでいます。いざ、ガダーラが出始めると鬼のように声をだし、がんがん品物を落として行きます。あの方はいつもインド風?な服を着て、スキンヘッドだったので、よけいに印象が強かったのだろうと思います。
「アフリカのものはほとんどでませんが」と紹介された会でしたか、たまには何か出るのではと思っていたところがありました。でも、本当にそんなもはまったく出てきません。フランスのサン・ルイのガラス/ボヘミアン・ガラス/ベネティアン・ガラス/ガレ/ドーム/マイセンの人形にKPMの陶板にセーブル、ロイヤル・ウースターなど初めて見るデコデコしたきらびやかな品物が目ん玉が飛び出るほど高い金額で次々と落札されていきます。会が終わる頃には、自分の生活とあまりにかけ離れた値段のやりとりとデコデコを見過ぎたせいか、気持ちが悪くなってしまいました。それでも、人間って云うのは慣れるもので、デコデコも勉強し始めると、これも面白いもので、一年もするとけっこう詳しくなっていました。

話がそれましたが、目白に移店し、開店して間もない頃、ある人が、
ぼくはこう云うものも好きですけど、李朝が好きなんですよ。李朝のものは手に入りませんか。と云いました。
そうですか、李朝ですか。
韓国へはいかれませんか?
まだ、行った事はないんです。
行くようだったら、欲しいものがあるんですよ。
そうですか。

と云うような会話がありました。
お調子者のぼくは、マイレージも貯まって、ただで行けるから、一度行ってみるかと思いました。
どこの国へ行っても、良いものを買えるという、妙な自信はありました。それで、行ってみたのが運の付き、李朝にはまって10年近く韓国と日本を行ったり来たりする事になり、あのどうにも馴染めない和物の世界に突入することにもなりました。
ここまで書いみて、まあ、なんと主体性のない骨董遍歴なのかと我ながら飽きれます。

 李朝ものは、日本でパンタチくらいは買った事がありましたが、ほとんど買ったことも有りませんでした。初めて染めの入ったとっくりを買ったのは、アメリカのワシントンDCででした。今考えると、真面目な李朝やさんで、ぼくが李朝末期の染め付けの入ったのを選ぶと、あっちの方が良いわよ(白人の女のひとでした)と勧めてくれました。後から考えると、彼女が勧めてくれたのは、分院のあがりの良いつる首の瓶でした。値段のこともあって、ぼくは染めの入ったものを選びました。どうした訳か初めて買ったような気もしないまま、店をあとにしました。

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