E 011
ロシア・イコン

聖母子像 19世紀
オクラド(金属製の覆い)付

幅  : 約26.3x22cm
厚み :約2cm     


価格  ¥85,000


 オクラド付きの聖母子像です。
元々は真鍮製の金属に銀メッキをしていたようですが、銀はだいぶはがれています。 19世紀に入るとこのような家庭に飾る為のイコンが沢山作られ、裏面も初めから布付きのものが多かったようです。

テンペラ画


<ロシアイコンの個人的な想い出>
 ロシアイコンには、苦い想い出があります。

 旧ソ連崩壊寸前のペレスロイカの頃,今から20年も前の話ですが、ソ連に観光に行った人から、イコンをいっぱい売ってたよと話を聞き、オレも行く!!と早速、旅行の手配をしました。その頃は、外国人旅行者はソ連から指定された外国人用のホテルの予約しか取れず、支払ったホテル代はアメリカの上級ホテル並みの料金でした。
 
 いざ、到着してみると、韓国のエコノミー・ホテルの様な所でした。
 まあ、しかし、初めて乗ったアエロ・フロートのタバコは吸い放題、シートベルトをしていなくても別に文句を云われる訳でもない、いい加減さが気に入って、気を良くしていた僕は、到着後、早速、町に繰り出しました。
 5月の夜のの10時頃でしたが、白夜の町は夏の夕方のように明るく、小さな子供達が外で遊んでいる姿も見られます。
 モスクワの繁華街の場所を一応チエックし、買付は明日からにしようと、ホテルに戻りましたが、いつまでたっても沈まない太陽のせいか、良く眠れない夜を過ごしました。

 翌日町に出ると、その頃、日本の雑誌の写真で良く目にした、
崩壊寸前のソ連、モスクワの路上で一つの品物を手にし立ち並ぶ人々の長い列・・・が歩いているとそこかしこで見られます。
 中にはマルボロの赤いパッケージを一つだけ手にじっと立つている奥さんがいます。彼女の持ち物は、全くそれ以外何も無いのです。ただマルボロ一つだけ。 
 品物を手に立ち並ぶ人々は、目の前を通りすぎる人たちに声をかけでもなく、ただ、じっと埃っぽい路上に佇んでいます。
 食料品店には品物が無く何処も長蛇の列。夏のようにじりじと暑い日差しなのに街はドストエフスキーの小説の様に、どこか重苦しい空気が流れています。
 核戦争が起きた時のシェルター代わりにと作られた地下鉄の、長く薄暗い洞窟の様なトンネルを下るエスカレーターに載っていると、ますます、気持ちが沈んで行くようでした。

 滞在の間、イコンを買い集めるの難しくありませんでした。
 名前は忘れてしまいましたが、観光客が集まる通りがあり、歩いて行くと、路上で何人かの人がイコンを売っていました。どう云う訳か知りませんが、本屋さんもイコンを売っています。こちらは壁画を切り取ったような長さが2メートルもあるような立派なもので、値段もかなり立派なもので、さすがに日本まで持ち帰ることはできません。で、露天商の持ち寄ったイコンを見て回りました。
 
 買うと決まると、横の路地に行き、隠れてこそこそとお金を支払います。支払いはUSドル。
 こそこそと、商取引をするのには理由があります。
 外国人にイコンを売るのは法律で禁止されていたのです。
 実は、旅行に行くと決めた後で、イコンの海外持ち出しは禁止である箏を知りました。
 まぁ、旅行をキャンセルするのもなんだから、と、いつも調子でやって来たモスクワです。 
 3,4日街を歩き回り、何やかや20枚くらい仕入れました。ホテルの部屋に、集めたイコンを並べ、眺め、写真も撮らず持参した2つのスーツケースにそれを詰め込みました。来る時は大きなスーツケースの中にイレコのように一回り小さなスーツケースを入れて来たので、手荷物は一つだったのですが、帰りは2つです。

 帰国手続きの税関。
 僕のスーツケースがX線の中を通っていきます。イコンが何枚も重なっている画像。なんだか顔が赤くなりました。
 大体、4,5日のひとり旅行でドデカいスーツケースと小振りのスーツケース二つも転がしている事自体怪しいのです。
「スーツケースをあけてみて下さい」税関の若い男がきれいな英語で話しかけてきます。「イコンですねえ。随分沢山あるね。何処で買われました」
「これは、新しく作ったおみやげものです 」男は口元に苦笑のような笑いを浮かべ、ぼくの言葉を無視して続けた。「イコンはソ連の文化財で持ち出し禁止なんですよ。知りませんでしたか?」
「ええ、まあ」
と、僕は100ドル紙幣を握っていた手を彼の前に伸ばす。
「これは何?」男は紙幣を見ると表情を曇らせ、云った。
「いやぁ」僕は言葉に詰まる。
「とにかく、イコンは持ち出せませんので、置いて行ってもらうことになります」
 100ドルじゃ少なかったのか?ちらっと思う。しかし、この男のうんざりしたような話しぶりや態度にワイロは通用しないのだなぁと思う。彼の話す英語にしたった、こんなにきれいな英語はモスクワに来てから初めて聞いた。僕は、もう諦めていた。
「何処で買ったか憶えていますか?元の持ち主に返すことになりますから」
 永久循環装置。
 ふと浮かんだ言葉。あの町の露天商と税関の間をイコンがくるくると回り続ける。イコンは無くならない。お金はは何処からとも無く湧いてくる。
 空っぽになるスーツケース。テーブルの上で宙ぶらりんになっている100ドル札。
「これ君にあげるよ」なんだか僕はそう云った。
「えっ、なんでくれるんだ」
 ポケットに残っていたルーブル紙幣もテーブルの上に置き、「これも、要らないからあげる」もう完全にやけっぱちです。
 「ほんとに、いいのか?」男の顔が急にに人間っぽくなり、後ろを向くとロシア語で何か大声をあげている。 2,3人の税関の若い職員が集まって来て、男がみんなにロシア語で話をしている。男達はみんなでそのお金を分けるようだった。ぼくは完全に無視され、もう行って良いとお払い箱。
 まあ、とにかく、帰りの飛行機に乗り遅れることは避けられた。
 その後、ソ連の崩壊と共に、イコンは市場に流出し、値段も以前とは比較になら無いくらい安くなりました。でも、あの、モスクワ旅行以降ロシア・イコンを買ったことがありませんでした。久しぶりの仕入れとなりました。
 
 今となっては、イコン没収事件の記憶も薄れ、クレムリンの寺院内で見た素壁画群、人気のないプーシキン美術館で、マティスの絵を飽きるまで、たったひとりで眺めていられたこと。そんなことが、より鮮やかな記憶として残っています。


 

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ロシア・イコン 聖母子像 19世紀
オクラド(金属製の覆い)付



ロシア・イコン


ロシア・イコン

ロシア・イコン

左上に金属カバーの破れた箇所か2つあります。

ロシア・イコン

 

ロシア・イコン

左の人物の後頭部のテンペラが剝がれてます。

 

ロシア・イコン

ロシア・イコン


ロシア・イコン

ロシア・イコン

ロシア・イコン

製作当初から裏を布で覆っていたもので、本体の木はきれいです。

ロシア・イコン